La Movado2021年10月号 n-ro 848 1.相川節子:ネットの世界大会をのぞいて 2.塚本猛:楽しい作文教室(122) 3.Kitagawa Syozi: Kajero Libervola: Ne plu milito por vivi humanece 4.伊藤俊彦:書評:Sesdek ok 5.紫式部/belmonto:対訳:源氏物語 第21帖 少女(19) 6.森下綱子:神戸紹介冊子を記念出版しました 7.Fukuda Makoto:関西大会分科会:Pri retaj kunsidoj 8.RyohoFuse:KLEG 賞を受賞して:将来はAI をエスペラント活動に活用したい 9.Kurantaj vortoj(デトネーションエンジン、ほか) 10.沖恵明:動詞不定形の用法について(1) 11.redakcio:vidis eksciis sentis:Interesa posxtkesto 12.La Movado: 2022年日本大会、中四国連盟ほか 13.海野厚/小田島樹人/島谷剛:楽譜:Marsxo de Pupoj(おもちゃのマーチ) Vortkruca enigmo 14.Mikspoto 15.KLEG事務局だより 16.編集ノート 17.図書広告 テキスト内の代用表記: CxcxGxgxhxJxjxSxsxUxux ---------------------------------------------- 1.相川節子:ネットの世界大会をのぞいて 相川 節子(京都府) 世界エスペラント協会(UEA)による第2回Virtuala Kongreso de Esperanto が、2021年7月17日から24日まで行われた。北アイルランドのベルファストで開かれる予定だった第106回世界エスペラント大会に代わるもので、会場に集まるのではなく、ネット上だけですべてが進行する。参加者は106の国と地域から1852人。本物の(?)世界大会同様、様々な番組が用意された。 自宅にいて参加できる大会  私自身は2007年の横浜以来、世界エスペラント大会とは無縁で過ごしてきた。飼い猫の世話と定年後に始めた貸会議室の運営とで、一泊旅行さえままならない日々を過ごしているからだ。新型コロナの流行にみまわれた昨年の大会はネット上で行われたと聞いたが、その時もさほど心は動かなかった。 今年も世界大会はネットで行われると聞いたのが4月、世界エスペラント協会の個人会員は参加費無料と耳にしたのが6月。ネットの大会とはどんなものか、まったく見当がつかないまま、「タダなら申し込まなきゃ損」というさもしい動機で参加登録。登録手続は専用サイトにUEA会員コードを入力するだけの簡単なもので、すぐに確認メールが届いた。 そして7月16日、今度は大会のサイトアドレスとパスワードがメールで送られてきた。こうして、「自宅の居間でくつろぎながら、パソコンかスマホを通じて参加できる世界大会」を初めて体験することになった。 ネットの利用という観点から大きく分けると番組は2種類になる。開会式や講演のように拝聴するだけの番組と、ネット会議の形で参加者が話し合う番組と。ただし、拝聴するだけの番組でも、番組によってはチャットの形で発言することができ、他の参加者の発言を読むこともできた。 プログラム一覧―紙の冊子との違い このサイトでプログラムの一覧を見ることができるのだが、あまりにも番組が多いのとネットの画面でページを繰る面倒さから、全部を検討することは難しかった。紙の場合と違って検索機能があるので、たとえばmuzikoという単語で検索すると、この単語を含んだプログラム名を持つ番組を選び出せる(ただし、muzikoで検索したからといって、音楽番組を全部拾えるというわけではない)。そういう便利さはあるけれど、冊子のページを次々に繰って参加したい番組を探す方がやはり便利だ。プログラムは紙の冊子の方がよいと思った。 24時間、誰かが何かをやっている プログラムを見ると、期間中24時間ほぼ切れ目なしに何かの番組がある。すでに済んだ番組にはpasinta、現在進行中は nun、これからの番組はvenonta と書かれている。nunのマークは赤字で、今何をやっているのかがひと目でわかって便利。 番組によっては、大会中に時間帯を変えて複数回やっていた。たとえばkat-sxatantojという番組は、プログラムによれば計5回あった。おそらく、世界のどこにいても自分の都合のいい時間に参加できるようにという配慮だろう。 開会式と閉会式は当然ながらそれぞれ一回だけだが、内容は録画でも見られるようになっていた。たとえば閉会式は日本時間の午前2時だったが、無理して起きている必要はないとあとでわかった。 Babilcxambro―無政府状態の談話室 プログラムを見るとbabilcxambroという名前の番組がやたらたくさんある。テーマ別のおしゃべり会というわけで、従来のfaka kunsidoにあたるもののようだ。babilcxambroの説明には sen moderatoro, sen registroと書かれている。moderatoroは直訳すると「調整役」だろうか。責任者もいないし記録をとる人もいませんよ、ということらしい。 上記のkat-sxatantojもbabilcxambroのひとつで、それぞれが自宅でパソコンまたはスマホを前にしているから、愛猫といっしょに登場する人もけっこういて楽しかった。ほかにもいくつかのbabilcxambroをのぞいてみたが、私が見た範囲ではどれも司会者がいないし、途中で入る人、途中であいさつなしに消える人、終了時間後もそのままいる人など、無政府状態という印象。私自身がネット会議に慣れていないせいもあるけれど、誰が誰に話しかけているのかがわからずとまどう場面もけっこうあった。 講演とそれに関する試験 個人的に印象に残った講演はAmri Wandelさんの「ブラックホールと重力波」。講演内容は専門的で白状すると半分もわからなかったが、興味深かったのはそのあとのやり方。講師は講演内容について視聴者に10問の試験を出す。視聴者はその場で答をメールで送る。そして最初の正解者には賞品が贈られるというもの。実はほかの講演のいくつかも同じように試験があったと、あとで知った。 関係者に感謝 閉会式の進行中、チャット画面に次々と感想が書き込まれた。私もMultajn dankojn al la teknika teamo!と書いた。見えないところでさまざまな作業をされたであろう裏方のみなさんに感謝! ---------------------------------------------- 2.塚本猛:楽しい作文教室(122) @それはとにかく、原油は石油産業の原料だ。 【訳例1】Cxiuokaze nafto estas krudmaterialo de petrolo-industrio. (ikona, 綴り修正:Haveno) 【訳例2】 La aferon flanken, nafto estas krud-materialo de petrol-industrio. (ヒー坊) 【訳例3】Cxiuokaze nafto estas krudmaterialo por la naftoindustrio. (Drako) 「それはとにかく」は、前の事項を認めながらも別の事項について話す時に使います。訳例のように cxiuokaze(すべての場合に、いずれにせよ)が使えます。原油は nafto、石油産業は naftoindustrio、petrolindustrio で表現出来るでしょう。 訳例2の前半は ni lasu la aferon flanke(その事は横に置いておこう)という意味だと思います。「それはさておき」といったところでしょうか。なお、cxia だと cxiaokaze(どんな場合にも、何はともあれ)で、antaux cxio だと「なによりまず」という表現になります。 A原油なしではあの産業が立ち行かない。 【訳例1】 Sen nafto la industrio ne povas teni sin. (Haveno) 【訳例2】La industrio ne povas tenigxi sen la nafto. (CA) 【訳例3】 Sen nafto oni ne povas teni tiun industrion. (Ivajo) 「原油なし」は sen(〜 なしに)が使えます。「立ち行く」は事業などが成り立っていくという意味です。行くを使うなら iri(進む)、保持するという意味では teni ion(〜を維持する)、あるいは dauxrigi ion(さらに続ける)から dauxrigebla(持続可能な)などが考えられます。 訳例1は主語を「産業」にして teni sin(なんとか生活する)を使い、原油なしでは産業が維持できないと表現しています。訳例2の tenigxi は teni sin と同様の意味です。訳例3は tiu industrio を teni の目的語にして「あの産業を維持できない」としています。tiu を tia にすると「あんな産業を維持できない」になります。 B何とかできないものだろうか。 【訳例1】Cxu ni ne povos trovi ian rimedon. (Jasuko) 解説 【訳例2】Kion ni povas fari. (Haveno) 解説 【訳例3】Kian rimedon ni povas preni? (Celejo) この文はできるかどうかの質問ではありませんが、疑問文にするには疑問符が必要です。cxu を使う場合も、解決する方法を検討していると考えて kiel や kio などの疑問詞を使う場合も同様です。 訳例1に疑問符を追加すると cxu を使い jes、ne を求める疑問文になります。でも、質問したいわけではないので cxu を削除し、疑問符を付けるだけではどうでしょう。疑問詞等を使わない疑問文ですが、相手から確証を得たりしたい気持ちの表現になると思います。ここで ia(なんらかの)を iu(どれかの)にすると、幾つかの候補があるような感じになります。ia と iu の使い分けに注意しましょう。 訳例2は「私たちに何ができるか」という疑問文です。kio は関係詞の場合もありますし疑問符を付ける方がいいと思います。訳例3も「どんな対策を取ることができるか」ということで、難題への対応を考えながらの発言になるでしょう。 Cひとまずどうなるか様子をみよう。 【訳例1】 Provizore ni restu observante situacion. (綴り修正: Haveno) 【訳例2】Ni vidu provizore kio okazos. (CA) 【訳例3】Provizore ni observu la rezulton. (Celejo) 解説 「ひとまず」は、一時的に、さしあたって、という意味なので provizore(臨時に)で表現出来ます。「どうなるか様子をみよう」は、状態がどのように変化していくか、状況を見定めようということです。あえて何もせずに静観しようという意味ですから observi ion(観察する)が考えられます。 訳例1は ni restu senage, observante situacion(状況を見ながら何もしないでいよう)と表現しているのでしょう。訳例2は、とりあえず何が起こるか見てみよう、訳例3は、ひとまず結果を見ようという表現です。「結果」は少し違う感じがします。 restu observi の形の訳例がありましたが、resti ia/iel(ずっと〜である)に動詞不定形を続けることはできません。observi は線動詞なので observu や observadu で表現出来ると思います。 ------------------------------ 楽しい作文教室(122)成績 9人の方から応募がありました。( )内は留意事項です。 うん、良いね:Haveno(@petroio B疑問符 Coservante), Celejo(Crezulton), CA。 良いね:松村(Bpovu, remedon), Ivajo, ikona(Cprovovizore), ヒー坊, Drako(Atenus), Jasuko(@el B疑問符)。 ------------------------------ 楽しい作文教室12月号課題(10月20日締切) @あの検察官は金で動く人間ではないとみる。 A君が知っている事実を話すのが重要だ。 B私の同僚たちは例外なく私と同じ意見だ。 Cまあ、そこまで言うなら彼に会ってみよう。 (ヒント)検察官 akuzisto、同僚 kolego。korupti、opinii、insisti を調べましょう。 日本語の原文の内容を伝えるには言い換えも必要かもしれません。 送付先: [郵送]〒674-0092明石市二見町東二見515-1-811 塚本 猛 [電子メール]c_tak@esperanto.ne.jp (件名に「作文」の文字を入れてください) 添削は受け付けておりませんのでご了承ください。 ---------------------------------------------- 3.Kitagawa Syozi: Kajero Libervola: Ne plu milito por vivi humanece Kitagawa Syozi (Hukui) 軍人は上官の命令には逆らえない。人間的に生きようと思ったらまずは戦争をしないことだ。 ----------- Antaux unu jaro mi hazarde renkontis kortusxan rakonton en la programo “Radio-arkivo” de la radio-elsendo de NHK la dua. Tie oni elsendis pri “La historio de personoj de Syowa-epoko kun registrita vocxo”, kaj tiam oni aperigis vocxon de s-ro Takahasi Akihiro, eksdirektoro de la Domo de Dokumentoj pri la Atombombo en Hirosximo, kaj parte reelsendis la programon “la Profundnokta letero en radio” de antaux 15 jaroj. Tiam komentis s-ro Hosaka Masayasu, la verkisto pri nefikciajxoj. La loko, kiu restis en mia koro, estas jenaj rakontoj: Iam s-ro Takahasi partoprenis en la Ekspozicio pri la atombombo, kiu siatempe okazis en la Domo por senatanoj de Usono, kaj tiam li intervidigxis kun la kolonelo Tibbets, kiu estis la cxefpiloto de la bombarda aviadilo B29 nomata “Enola Gay”, kiu per la atombombo bombardis Hirosximo-n. En tiu tago iu konato demandis lin, cxu li intervidigxos kun Tibbets, kiu hazarde estis proksime de la Domo. Li volonte jesis kaj realigxis la intervidigxo. S-ro Takahasi diris, “Mi ne intencas tiel kulpigi vin kiel mi vengxos kontraux vi”, kaj komencigxis la intervidigxo per manpremo. En la interparolo s-ro Takahasi diris fronte al Tibbets, “Ni ricevis damagxon pro la atombombo, do ni deziras al vi, ke vi neniam faru tian agon en la estonteco.” Kaj tiam Tibbets respondis, “Mi bone komprenas vian deziron, sed tamen mi faros saman agon, se denove okazos tute sama situacio. Esti militisto devas esti tia.“ Versxajne s-ro Takahasi malesperigxis. Sed tamen... Tuj post la eldiro Tibbets aldonis jenan frazon, “Pro tio, oni ne devas okazigi militon.” S-ro Takahasi trankviligxis pro tiuj vortoj. S-ro Hosaka aldonis klarigon jene “Tiu cxi intervidigxo havas du historiajn signifojn. Unue, dum la tuta intervidigxo Tibbets premadis keloiditan manon dekstran de s-ro Takahasi, kio sxajnigas, ke li en sia koro komprenis la koron de Tibbets, malgraux ke ne trovigxis memkritikaj vortoj pri la bombardo per la atombombo. Due, ili ambaux havis komunan bazon, ’ne plu militon’, cxar la milito ne povas eviti hommortigon.” Auxskultinte supran rakonton mi pensis, ke ne nur usonaj militistoj kiel Tibbets, sed ankaux du milionoj kaj tricent mil japanaj soldatoj, kiuj mortis en la lasta milito, neniam povis kontesti la ordonon de superuloj en la batalkampo, kia ajn la ordono estis. Dume, preskaux cxiuj el ili estas nur bonanimaj civitanoj. Situacio, en kiu tiaj homoj devigite perdas homecon, ja estas ’la milito’. Krome, mortis en la milito ankaux mia vera patro (rim. post la milito mi 3-jara farigxis adoptito kaj adopta patro vivis gxis 75-jara). Kvankam supozeble li spertis batali kontraux malamikoj kaj eventuale mortigi ilin, tamen en la foto postrestita lia vizagxo estas plena de rideto milda, varma, kaj homeca. Se ne estus la milito, cxiuj el ili povus vivadi humanece. Devas esti, ke la kolonelo Tibbets volas diri tiel. Cetere, mi ne povas preterpasi unu gravan punkton. Ecx se Tibbets asertis, ke pro la milito lia senhomeca ago ne estis evitebla, ni neniom indulgos lian krimon faligi la atombombon. Interalie, la sofismo, ke la bombardo de la atombombo fruigis la finon de la milito kaj multaj junuloj estis savitaj, kiun kredas plejpartaj usonanoj, neniel devas esti aprobita. Kvankam mi estimas la koron de s-ro Takahasi, kiu intencas ne vengxi kontraux usonanoj, ni ne povas neglekti pasintajn faktojn. Mi kredas, ke ni povos vivi humanece, kiam ni firme rigardas pasintecon, sinkritikas, kaj celas estontecon, nome senmilitan mondon. ---------------------------------------------- 4.伊藤俊彦:書評:Sesdek ok Sten Johansson著、Mondial、2020年刊185p 伊藤 俊彦(愛知県) この作品のタイトルは世界的な激動の年であった1968年を指している。もっとも、多くの人には1968年といっても何のイメージもわかないかもしれない。私事で恐縮ながら、私はこの年は田舎の高校一年生で、週刊誌などで日本の大学紛争、ベトナム反戦運動、パリ五月革命、プラハの春とその終焉、中国の文化大革命といった世界の情勢を、息を詰めて見ていた。 私の場合は遠くからそれらの大事件を眺めていたにすぎないが、この作品の語り手のビョルンは、まさに身をもってその大事件に遭遇したのである。彼はスウェーデンの大学生。語学好きの非政治的な若者で、1968年1月にヨーロッパのいわば周縁の地であるスウェーデンからパリのソルボンヌ大学に短期留学し、その過程で図らずも五月革命に遭遇した。学生デモに参加し、警官に追われて辛うじて逮捕を免れたり、解放区となったカルチェ・ラタンや大学の祝祭的な雰囲気のなかを歩き回ったりする。第8章では五月革命の経過が日を追って詳細に辿られている。 もっとも、ビョルンはノンポリで、旧態依然としたソルボンヌでの講義にうんざりしてはいるものの、五月革命がどのような政治、社会状況のもとで起こり、何を訴えようとしたのかといった点について格別強い関心を抱いているようには思えない。五月革命が急速に終焉を迎えたことと相まって、次の章では、彼の関心はパリで親しく交わった二人の女性、ダニとそのルームメイトのマリー=フランスのことに移っていく。ダニはエスぺランティストで、ビョルンとは前年にスウェーデンで行われたSATの大会で知り合ったのである。 ダニとマリー=フランスは、地方出身で底辺に近い労働者。大学へは行っていない。彼女たちの目に映じるパリは強固な階級社会で、彼女たちは五月革命と学生に強い共感を抱いている。ダニは熱心な読書家で、作中ではデュラス、サガン、サリンジャーなど当時の流行作家の名前が登場する。ビョルンは彼女にボーヴォワールの『第二の性』をプレゼントし、彼女は、さしてうれしそうでもなくその本を受け取る。また彼女はアルベール・カミュの作品を読むことを拒否するが、それはカミュがピエ・ノワール(アルジェリアからの引揚者)で右翼であるからだという理由だった。ビョルン自身も小学校卒の鉄道員の息子で、家族で大学に進学したのは彼が最初である。 他方、スウェーデンでビョルンと同棲していたイングリッドは大学生で、父親は会社を経営し、田舎に別荘を所有している。ビョルンは、知的で積極的な彼女に引け目を覚え、彼女が自分よりも上の階層に属していると感じている。そうした階層差も具体的に描かれていて興味深い。 イングリッドは、ビョルンがパリに滞在している間に毛沢東主義の過激なセクトに入り、外部から遮断された環境で暮らすことになる。そのセクトの成員は、毛沢東の文章を暗記し、内部での相互批判、自己批判を通じて、組織と思想の純化を図ろうとする。彼女自身も自己批判を強要され、幽閉されるが、セクトが解体したおかげでそこから逃れる。しかし、その後も、そこで被った深刻なトラウマから抜け出すことができない。ビョルンは帰国後、彼女に会い、対話を試みるが、心を閉ざした彼女との対話はうまくいかない。 ある評者は本書をクリストファー・イシャーウッドの短編『さらばベルリン』をもとにしたブロードウェイ演劇『私はカメラ』を想起させると述べている。これはナチスが台頭しつつあった1930年代初頭のベルリンを舞台として、イギリス人学生とアメリカ人のキャバレー歌手との恋愛を描いた作品である。ライザ・ミネリ主演の映画『キャバレー』の原作でもある。女性が意志的に活動し、男性はそれに翻弄される。その主人公同様、ビョルンもいわば受動的な存在であって、1968年に自分が何を体験したのか、パリでは何が起こったか、そうしてイングリッド、ダニ、マリー=フランスという女性たちの当時の行動がどういう意味を持ったのかを考えるために手記を書くことを思い立つ。 作者のSten Johanssonは1950年生まれ。本作品は老年に差しかかった作者が自身の同時代体験を反芻しつつ書いた青春小説としての側面を持っていると思う。文章は練達の作者らしく、きわめて読みやすく、女性たちとの会話も生彩がある。3人の女性たちとの会話、また、気位の高いイギリス人の女子学生やロンドンの病院の看護師との気まずい会話のシーンはことに面白い。なお、版元のMondialはニューヨークにある出版社で、原作文学、翻訳、ノンフィクションなどエスペラントで書かれた本を精力的に刊行している。 ---------------------------------------------- 5.紫式部/belmonto:対訳:源氏物語 第21帖 少女(19) Li kasxis falantajn larmojn gracie. Vidante tiun figuron, sxi plorploris en larmoj: “Persono postlasita de la patrino estas tre kompatinda, je iu ajna rango estos tiu. Post maturigxo laux sia sorto neniu mokos malbone, do ne restu en obsedita pesimismo cxiam. Se la forpasinta Cxefministro vivus iom pli longe, la situacio estus pli bona. Kiel senfinan zorganton mi ankaux fidas vian patron, tamen aferoj ne cxiam kuras glate. Ankaux oni lauxdas la sintenon de la Meza Ministro, komparebla al neniu, sed sxajnas al mi, ke li sxangxigxis de antauxe kaj donis al mi multajn batojn. Longe vivi estas malsxatinde*1. Junulo kiel vi, kiu havas longan vivon, malgxoje komprenas la socion kaj dronas en trista konsiderado − cxio estas evitinda en la mondo.” Sxi kontinue ploradis. 29) festoj en la nova jaro Jen la unua tago de la luna januaro. Gengxi ne devis cxeesti en la ceremonio de la Palaco, kaj restis en sia domo kun facila animo. Laux la precedenco de la Ministro Josxifusa*2, oni kondukis la paradon de Blanka Cxevalo al Nideuxvin, kaj en la etsezona tago oni okazigis en lia domo la ceremonion imite al la Palaco, aldonante pluan eventon en tre grava kaj pompa manieroj ol en la precedenco. Post la dudeka tago de la luna februaro, la Mikado ekskursis al Suzakuvin, la rezidejo de la eksmikado Suzaku. La sezono estis iom pli frua ol plena ekfloro de sakuro, sed ne eviteble, cxar la luna marto estis la memormonato de la forpasinta Mikadino Visterio. Frue floranta sakuro estis ankaux tre fascina, kaj Suzaku bone preparis riparante kaj polurante sian palacon, kaj ankaux atentis pri cxio, lauxvice de la kamdatimoj kaj princoj, kiuj akompanos Lian Mosxton. Cxiuj estis vestitaj per blua survesto oficiala kun subvesto sakurkolora, t.e. blanka surface kun rugxa subsxtofo. Lia Mosxto estis vestita per la rugxa survesto. La Cxefministro venis laux la invito. Ankaux li estis vestita per la rugxa samkiel Lia Mosxto, kaj ili estis brilantaj kvazaux unu homo kaj ne distingeblaj. Pri la vestoj kaj agmaniero oni preparis tre bone, pli speciale ol ordinare. Ankaux Suzaku farigxis pli fresxa laux jaroj, kaj lia figuro kaj agmaniero pliigxis je eleganteco. Hodiaux specialistoj pri la hxina poezio ne estis invititaj, sed dek studentoj. Oni tamen donis temon al ili laux stilo de la ekzameno de la Departamento pri Ceremonio. Tio povus esti pro ke la filo de Gengxi estos ekzamenata. Kun hezito studentoj ne bone regis sin, kaj estis forlasitaj en lageta boato, ne ligita al la bordo*3; tio pli turmentis ilin. La suno fine subiris, kaj sur la lago cxirkauxflosis la du boatoj de orkestro. Sur ili muzikistoj provludis mallongan melodion por agordi, tiam la monta vento blovis harmonie por interesigxo. Vespera Nebulo estis kaptita de la ideo malsxate, ke pli bone estus amike ludi, ol studi diligente en la universitato. Kiam oni ludis la dancon “Kvivitas la Printempa Ugviso”, ankaux Suzaku rememoris la tempon antaux multaj jaroj de la florfesto*4, kaj diris: “Cxu ni povos refoje spekti tian fascinan dancon?” Lia vorto rememorigis la tiaman impreson sopire. Kiam la danco estis finita, Gengxi reko-mendis la taseton de sakeo al Suzaku. Gengxi utais: Ugviskanto tute samas Kiel pep’ cxe l’ Sudpalaco Loko danci nun malsamas Kontraux floro jen sen paco (dauxrigota) ------------ *1 cito el Ciang-cia. 莊子. *2 = Fudifara-no-Josxifusa. 804 872. *3 Tio estas la maniero por preventi friponadon en ekzameno, lasante ekzamenaton tute sola. *4 Referencu la 8an volumon “Florfestoj”. De tiam jam pasis 14 jaroj. ------------ とて、涙の落つるを紛らはいたまへる気色、いみじうあはれなるに、宮はいとどほろほろと泣きたまひて、 「母に後(おく)るる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世(すくせ)宿世に、人となりたちぬれば、おろかに思ふ人もなきわざなるを、思ひ入れぬさまにてものしたまへ。故大臣(こおとど)のいましばしだにものしたまへかし。限りなき蔭(かげ)には、同じことと頼みきこゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内大臣(うちのおとど)の心ばへも、なべての人にはあらずと、世人(よひと)もめで言ふなれど、昔に変ることのみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、生ひ先遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨めしき世なる」 とて、泣きおはします。 朔日(ついたち)にも、大殿は御歩(あり)きしなければ、のどやかにておはします。 良房(よしふさ)の大臣(おとど)と聞こえける、いにしへの例になずらへて、白馬(あをうま)ひき、節会(せちえ)の日、内裏(うち)の儀式をうつして、昔の例(ためし)よりもこと添へて、いつかしき御ありさまなり。 二月(きさらぎ)の二十日あまり、朱雀院(すざくゐん)に行幸(ぎゃうがう)あり。花盛りはまだしきほどなれど、三月(やよひ)は故宮の御忌月(きづき)なり。とくひらけたる桜の色もいとおもしろければ、院にも御用意ことに繕(つくろ)ひみがかせたまひ、行幸に仕うまつりたまふ上達部(かむだちめ)親王(みこ)たちよりはじめ、心づかひしたまへり。人々皆青色に、桜襲(さくらがさね)を着たまふ。帝は赤色の御衣(ぞ)奉れり。召しありて太政大臣(おほきおとど)参りたまふ。同じ赤色を着たまへれば、いよいよ一つものとかかやきて見えまがはせたまふ。人々の装束用意、常に異(こと)なり。院もいときよらにねびまさらせたまひて、御さま用意、なまめきたる方にすすませたまへり。今日はわざとの文人(もんにん)も召さず、ただその才(ざえ)かしこしと聞こえたる学生(がくしゃう)十人を召す。式部の司(つかさ)の試(こころ)みの題をなずらへて、御題賜ふ。大殿の太郎君の試み賜はりたまふべきゆゑなめり。臆(おく)だかき者どもは、ものもおぼえず、〓(つな)がぬ舟に乗りて池に離(はな)れ出でて、いと術(すべ)なげなり。 日やうやうくだりて、楽(がく)の船ども漕(こ)ぎまひて、調子ども奏するほどの、山風の響きおもしろく吹きあはせたるに、冠者(くわざ)の君は、かう苦しき道ならでもまじらひ遊びぬべきものを、と世の中恨めしうおぼえたまひけり。 春鶯囀(しゅんあうでん)舞ふほどに、昔の花の宴のほど思し出でて、院の帝も、 「またさばかりのこと見てんや」 とのたまはするにつけて、その世のことあはれに思しつづけらる。舞ひはつるほどに、大臣、院に御土器(かはらけ)参りたまふ。 鶯の さへづる声はむかしにて むつれし花の かげぞかはれる (つづく) ---------------------------------------------- 6.森下綱子:神戸紹介冊子を記念出版しました 森下 綱子(兵庫県) 今年2月の大会実行委員会の議事録に次のように書かれている―木元が提案しているこの件は、「出版」するには着手が手遅れで「副記念品」程度に考えて、できるだけのことはやってみたらいいだろう。既に「出版」された過去のサンプルが木元に手渡された―昨年の12月にも木元靖浩さんが「出版」を提案されたが、時間が足りないということで、この話は消えたと、私は思っていたのに。 …で、ナンダカンダあって、“Bonvenon al Kobe 更新版” を出版することが決まったのが5月6日(木)。“兵庫津、歴史の道”(その時は、まだ題名は付いてなかったが)を早くから木元さんに手伝いを申し出ていた平野登さんの提案で4月27日の土曜例会からSkypeで読み直しを始めていた。2010年1月の月例会でekskursoするにあたり、赤田義久さんが用意してくれていたテキストだ。デジタルデータがなかったので、スキャナーで読み込んだものを文字の間違いをチェックし、固有名詞などは、すべて訓令式にするという作業を進めたが、使われている写真の出所がはっきりしない。 2007年に“Bonvenon al Kobe“を作った時、(財)神戸国際観光コンベンション協会から画像データの入ったCDを送ってもらっていたが、そのCDにも入ってない写真が混ざっている。新しくなっている(財)神戸観光局のHPにも欲しい写真がないので、私は、自分で撮ることにした。5月12日(水)は、兵庫(津)に、15日(土)は、移転していた花時計と生田神社の写真を撮りに行った。花時計を撮るには高さが足りない。三脚代わりに折り畳み傘の先っちょのキャップを外して、カメラを付け、背伸びをして3秒タイマーで撮った。 “兵庫津、歴史の道”の読み直しが終わり、次はHPに載せている“Turismo en La Urbo KOBE”の読み直しを始めた。神戸のことはあまりわからないという金岡晴子さん(芦屋市在住)の新鮮な感想がとても役に立った。2007年に“Bonvenon al Kobe”を作った時に、入りきらなかった原稿が私の手元に残っていたので、”kurso”を追加することにしたが、元の原稿では、新神戸駅から布引の滝まで登り道を歩くことになるし、ハーブ園の紹介も加えたいので、どんなコースが良いのかわからず、とうとう6月9日(水)実際に行って確かめた。とても良い天気で、お弁当を食べた後、木陰で20分ほどハンモックで揺れたのは、本当に気持ちよかった。その後、ハーブ園で貰った地図を見ながら貯水池に向かうと、道を間違えてしまった。kursoに書く道を確かめるため、もう一度、登り直して道を確認し、クタクタになった。 「…ハーブ園のゲートを出て右へ数分行くと、左に…」とややこしい書き方をしているが、この文を信じて歩いて欲しい。 「印刷屋に入稿」の経験がない私にとって写真が一番不安だった。ネットで調べてみたら、案の定わからない。ネットのやり取りだけで印刷を頼むのは不安なので、写真を撮り直しに行った敏馬神社の近くにある印刷屋をネットで見つけて、資料を持って5月25日(火)に行った。「担当者が出掛けているので、私で良ければ…」と女性が話しを聞いてくれた。ピクセルというのが大事らしい。5年前のデジカメで撮った写真は、72ピクセル、今使っているデジカメは300ピクセルだが、冊子には350ピクセルのほうが良いという。色は、パソコンの画面は、光の三原色だが、印刷するとそれに墨色を足したようなくすんだ色になるらしい。ネットには「Wordは画質の初期設定が220ピクセルになっているので、変更しておくこと」とも書いてあった。 表紙の色は、緑と決めていたが、藤田紘子さんが市バスの緑色が良いというので、調べたら2色あったので、ノンステップバスの色にした。6月30日(水)原稿とパソコンを持って、印刷屋でチェックして貰い、やっと届いた中道民広さんの校正した部分を入力し、7月9日(金)出来上がった原稿を持って印刷屋に行った。その3日後、初校を自宅まで持ってきてくれた。写真の色がキレイ!96ピクセルも180ピクセルも300ピクセルと同じようにキレイに印刷されている。表紙の色は、確か私は、もう少し暗い感じにしたかったはずだが、もうどっちでも良かった。初校を手にパソコンの画面を200%にしてニラメッコ。 7月14日(水)午前、大会実行委員会で初校を皆に見せ、午後2回目のワクチン接種を済ませ、帰り道に再入稿した。バンザイ!! 30日(金)配達してくれた冊子を見ても、初校を見た時ほど感動しなかったのは、いよいよ大会が始まるという緊張の方が強かったのかもしれない。皆さんありがとうございました。 Bonvenon al Kobe  24ページ 300円 KLEG取扱 ---------------------------------------------- 7.Fukuda Makoto:関西大会分科会:Pri retaj kunsidoj Pro la pandemio niaj vivstiloj sxangxigxis. KOVIM-19 influis cxefe nian laborstilon. Nuntempe, multe da oficistoj laboras hejme. En cxi-tiu cirkonstanco ankaux niaj Esperantaj movadoj devas evolui. Kioto-Esperanto-Societo estas unu el pioniroj, kiuj efike uzas interreton. Sinjoro Morikawa Kazunori nome de Kioto-Esperanto-Societo klarigis siajn retajn agadojn en la fakkunsido okazinta matene de la dua tago de la kongreso. La rondo enkondukis “Skype Meet Now”-n kiel videokomunikilon por retaj kunsidoj. Estas kvar specoj de regulaj kunsidoj en Kioto. Kvankam E-Babilejo okazas nur reale, ili kondukas lundan kurson nur rete kaj kunsidas merkrede kaj sabate reale kaj rete je la sama tempo. Lia raporto estis admirinda kaj utila por mia propra ronda aktivado. Probable multe da personoj pensas, ke kunsidi rete estas malfacile. Sed, rememoru la pasintecon. Oni defiis ion novan kiam retposxto estis enkondukita, kaj sukcesis. Kompare kun tiama defio, la grado de malfacileco de novaj komunikiloj estas pli facile superebla. Ni defiu por ke nia Esperanta movado estu dauxrigebla! ---------------------------------------------- 8.RyohoFuse:KLEG 賞を受賞して:将来はAI をエスペラント活動に活用したい @RyohoFuse(大阪府) この度は伝統あるKLEG賞を頂戴し、ありがたく思います。なお、私は第23回世界スカウトジャンボリーのエスペラントブース運営に参加しました。その際運営チーム(スカウトエスペラント連盟日本支部)としてKLEG賞を頂いています。(2016年受賞) 紹介動画制作スタッフ全員に感謝いたします。ありがとうございます。機会があればぜひ作りましょう! ところで最近、会社の上司からG検定受験を勧められました。G検定というのはAIについての資格です。せっかくなので、AIをエスペラントに使ってなにかできないかと考えています。 例: ・エスペラントの〔コーパス〕をAIで〔コロケーション分析〕して、一緒に使われる単語の組み合わせのデータベースを作成して学習に役立てる。 ・エスペラントに関係するツイートをAIで分析してつぶやいた人の〔クラスタ分析〕をする。エスペラントに興味のあるクラスタに対して効果的なエスペラント広報を行えるようにする。 (興味がある人は上記〔 〕内の用語をネット上で検索してみてください) アイデアがどんどん湧いてきます。 AIに詳しいベテランのエスペランティストの方、一緒に何かやりませんか? なお、KLEG賞の副賞としてKLEGで使える1万円分の図書券についてですが、KLEG事務所に行けないこともあり、まだ使い道が決まっていません。もしお薦めの図書がありましたら教えてください。 編集部注:「コーパス」とは、「自然言語処理の研究に用いるため、自然言語の文章を構造化し大規模に集積したもの」(Wikipedia)ですが、エスペラントでも“Tekstaro de Esperanto”などがインターネット上で利用できます。研究だけではなく、「この動詞にはこの前置詞が使えるだろうか?」と自分の文章を推敲するのにも便利です。 ---------------------------------------------- 9.Kurantaj vortoj(デトネーションエンジン、ほか) デトネーションエンジン(宇宙) detonacia motoro CP対称性の破れ rompoj de CP-simetrio パラリンピック Paralimpikoj(Paralimpiaj Ludoj) スケートボード rultabulo クライミング grimpado コーパス korpuso (aux tekstaro) 人獣共通感染症 zoonozo ---------------------------------------------- 10.沖恵明:動詞不定形の用法について(1) 動詞不定形(-i) は、動詞定形の直説法(現在形-as、過去形-is、未来形-os)、仮定法-us、意志法-u のような時制、仮定や命令などを伴った行為(動作、状態) を示しません。そのため、中立法とも呼ばれています。そして、日本語で、「食べること」「遊ぶこと」などのように、行為の名詞的表現をします。そのため、名詞の仲間であると言ってもいいでしょう。この動詞不定形は、主語、目的語や補語などになることができます。しかし、定冠詞(la) や形容詞を伴うことができないので、純粋の名詞自体が持っている性質とは少し違います。 また、動詞であるということで、動詞定形(直説法、仮定法、意志法) と同じく自身の主語、目的語、補語を持つことができますが、動詞定形のように、文において、直接的に主語の動作や状態を述べる述語動詞としての役割は果たしません。しかし、間接的には主語の動作や状態を述べます。 また、前置詞を動詞不定形の直前に置くことができます。しかし、それは限定された前置詞だけです。それについては、「5. 前置詞+ 動詞不定形」の項で述べます。 このように動詞不定形は、動詞定形や名詞に似ていますが、それらとの相違点も持っており、それが動詞不定形の特徴となっています。 1. 主語として 動詞不定形が主語になると、その補語や修飾語は、名詞のように形容詞を用いるのではなく、副詞を用います。 ・Mangxi estas gxoje por mi.(私にとって、食べることは、喜びです。) 補語として副詞gxoje が使われています。 ・Dormi profunde donas al mi energion.(深く眠ることは、私に活力を与えてくれます。) 副詞修飾語profunde を伴っています。 ・Bati hundon per bastono estas malbone. (棒で犬をたたくことは、悪いことです。) 目的語を伴い、副詞malbone は補語となっています。 2. 目的語として 動詞不定形が目的語になっても、目的語であることを示す対格語尾-n は付きません。 ・Mi sxatas trinki bieron.(私は、ビールを飲むのが好きです。) trinki がsxatas の目的語となっています。bieronはtrinki(他動詞) の目的語です。 ・Cxu vi kuragxas stari sur la malvasta supro de la kruta monto?(あなたは、その険しい山の狭い頂上に立つ勇気がありますか?) これも同じです。ただ、stariは自動詞で、kuragxasの目的語になっています。 3. 補語として ・Mia amikino helpis min kuiri.(私の友達は、私が料理するのを手伝ってくれました。) 動詞kuiriの主語はminになります。文全体から見ると目的語minの補語になります。 ・Mangxi estas vivi. (食べることは生きることです。) Mangxiは主語ですが、 estasを使っているので、viviは主語の補語になります。 4. devi、povi、voli と動詞不定形の組み合わせ これらの動詞の後に来る動詞不定形は目的語として扱われます。 ・Li devis preni medikamenton pro malsano.(病気のため、彼は薬を服用しなければならなかった。) preniはdevisの目的語と言えます。そして、Liが主動詞devisの主語であると同時にpreniの主語と解釈することもできます。 ・Ili povis grimpi sian celitan monton.(彼らは目指していた山を登ることができました。) celi は他動詞なので分詞受身の形になります。 ・Mi volas trinki akvon, cxar mi soifas.(のどが渇いているので、水が飲みたいです。) ・Li volas dormi frue.(彼は早く眠りたいと欲しています。) 自動詞dormi を使ってみました。 devi、povi、voli などのような動詞は他にもあります。deziriもその一つです。 5. 前置詞+ 動詞不定形 動詞不定形を前置詞の後ろにくっつけて前置詞句を作ります。しかし、今のところ、anstataux、krom、por、sen の四つの前置詞としか組むことができないとされています。例を挙げておきます。 ・anstataux Mi kuris rapide anstataux pasxi, cxar mi devis atingi la stacion gxis la oka.(私は、歩く代わりに速く走りました。なぜなら、8時までに、その駅に着かなければならなかったからです。) Anstataux acxeti domon, mi luis apartamenton.(家を買う代わりに、アパート/ マンションを借りました。) ・krom Mi ne povis trovi rimedon por transiri la riveron krom staradi tie, cxar proksime de cxi tiu loko ne trovigxis ponto. (そこに立ち尽くす以外、その川を渡るための方法を見つけることができませんでした。なぜなら、近くに橋が見つからなかったからです。) Krom esti amata de sxi, neniu min amas.(彼女に愛されている以外、誰も私を愛してはくれない。) ・por Ni iru al la trinkejo Ebria por trinki bieron.(ビールを飲みに飲み屋「Ebria」に行きましょう。) Mi eniris en la universitaton por farigxi kuracisto.(医者になるため、その大学に入学しました。) ・sen Li foriris sen diri adiauxon al mi.(私にさよならも言わないで去っていってしまった。) Cxu vi ne sentas malagrablecon sen banigxi? (君は風呂に入らないで、不快さを感じないのですか?) 上に挙げた例のように、これらの前置詞は自動詞、他動詞の両方と組み合わせることができます。 ここに示された4つの前置詞以外の前置詞を使う場合は-i の代わりに名詞語尾-oか-adoを用いればいいでしょう。 (例1) × pro malsanigxi → ○ pro malsanigxo (例2) × antaux mangxi → ○ antaux mangxado (つづく) --------------------------------------------- 11.redakcio:vidis eksciis sentis:Interesa posxtkesto Ordinare posxtkesto en Japanio estas ort-angula kaj rugxkolora. Sed en la urbo Ujxi trovigxas posxtkesto kun formo de ronda vazo. Gxi havas verdan koloron. La formo montras vazon, en kiu oni konservis te-foliojn. La urbo estas fama pro produktado de teo. En frua somero oni plukas foliojn de te-arbo, vaporumas ilin, kaj post certa procedo oni konservas la pretigitajn te-foliojn en ia ujo. Antauxe oni uzis ceramikan vazon por konservi. En erao de Edo (17-19 jarcentoj) te-folioj en vazo estis portitaj al Edo (nuna Tokio) por ke Sxoguno gustumu bonkvalitan teon de Ujxi. La posxtkesto vazforma staras antaux la stacio Ujxi de fervojo JR. 写真:茶壺型郵便ポスト ------------ この欄の原稿を募集します。身の回りのちょっとした話題をエスペラントで語るコーナーです。 長さは単語数200ぐらいまで。締切はありません。郵便で裏表紙の関西エスペラント連盟の住所へ、または電子メールでlamovado@gmail.comへ。写真はなくてもかまいません。 --------------------------------------------- 12.La Movado: 2022年日本大会、中四国連盟ほか 2022年の日本大会は八王子で 第109回日本エスペラント大会は2022年9月23日(金・祝)、24日(土)、25日(日)に八王子市学園都市センターで開催される。大会テーマ:コロナ禍後の新しいコミュニケーション時代とエスペラント / Nova erao de komunikado kaj Esperanto post kronvirusa pandemio。大会シンボルマークは、(高尾山薬王院の)天狗。デザインは公募する(謝礼あり)。 2022年9月には流行が収まっていることを前提に八王子市で開く。またこの間ネット経由コミュニケーションがエスペラント界にも広がってきたので、ネットとのハイブリッドでの開催とし国内外の多くの人の参加を期待し、新しいコミュニケーション時代のエスペラントの在り方を議論。若い人や新興アジアのエスペランティストの参加を呼びかけ、エスペラントを通じた異文化交流を実践しながら、お互いの国の歴史や現況を理解し合うことを目指す。[←関東エスペラント連盟会長 山野 裕] ------------ 第53回韓国エスペラント大会 10月8日 (金)〜10日 (日)15時〜17時、20時〜22時等、virtuale ズームによる非対面方式。テーマ: Plantu por Morgauxo: Strategio por la 2-a Jarcento de KEA(韓国エスペラント協会)。 10月8日(金) 15時〜17時:外部との共同行事。主催 KEA、壇国大学ソク・チュソン記念館。講演:ホン・ソンチョ「エスペラント運動の先駆者ソク・チュミョン(石宙明)」、ソ・ジンス「ソク・チュミョンの遺品と1930-40年代韓国エスペラント活動」。 20時〜22時 Inauxguro kaj Prelegoj - KEA, KEJ 22時〜23時 libera diskuto 10月9 日(土) 15時〜17時 fakaj kunsidoj 20時〜22時 Interkona kaj Kultura Vespero 10月10日(日) 15時〜17時半 Prelegoj 17時半〜18時半 Fermo 参加費: 会員1万ウォン、非会員2万ウォン(ざっと千円・二千円)[←belmonto、広報委員 チェ・スッキ] ------------ 埼玉エスペラント会がアニメに字幕 イタリア・パルマのエスペラント会が制作した16分のアニメ“La aventuroj de Sagxa Steleto kaj de la Mirinda Teamo”に各国語の字幕をつけたいということで、埼玉エスペラント会が協力して日本語字幕をつけた。実参加の例会ができなくなり、リモート例会を行っているなかで、とても楽しい作業だった。URL: https://www.youtube.com/watch?v= 4mYkdHdyTfQ&t=95s 現在エスペラントを含む7か国語の字幕が選べる。 なお、イタリア・パルマ側で中心になったAlessandra Madellaさんは、ホリゾント出版新刊の“Esperanto por mi 16 esperantistoj portretitaj de Helga Pl〓tner” N-ro 3に肖像画があり、エッセーでアニメ制作に触れている。[←石川 智恵子、堀 泰雄] ------------ 吹田市民文化祭ふれあい講演会 11月3日(水・祝)吹田市文化会館(メイシアター)小ホール(阪急吹田駅下車)で吹田市民文化祭参加エスぺラントふれあい講演会を開催する。入場無料(事前申込制)、13時半〜16時(開場13時)。矢吹芳教さん講演「地球環境を守る ― 水環境とプラスチックごみ」[←大畑 賀代子] ------------ 香川エスペラント会8月は休会 香川県の感染者数が過去最多を更新する状況で、8月例会は夏休みを兼ね休会することにした。 9月26日(第4日曜)、10月24日(同)の例会はアイパル香川で開催。[← 小阪 清行] ------------ 中四国連盟オンライン例会 8月28日(土)18時〜18時半オンラインで開催。今回は会議ソフトにZoomではなく、Jitsi(ジッツィ)を使用する。9月18日〜20日に開催されるオンライン日本大会(広島)で、ZoomとJitsiの二つの会議システムツールを使うことになり、その練習のため。[←中四国エスペラント連盟 事務局 木谷 奉子] ------------ 8月の土曜エスペラント会 8月14日(土)オンラインで開催した。出席12人(うち、海外から2人)。2時間半の間、エスペラントで話した。 1.「簡易製本機」(実演付き。用語集第2版出版に使う機械) 、2.「赤黒健康法」(実演付き。赤ワインと黒ニンニク)、3.「関西エスペラント大会」(写真付き。7月31日8月1日神戸)、4.「パレスチナ」(同国と日本の生徒を結ぶオンライン国際交流)、5.「ザメンホフの人柄」(ザメンホフに関する3巻本を再読して発見したこと)。[←山川 修一] --------------------------------------------- 13.海野厚/小田島樹人/島谷剛:楽譜:Marsxo de Pupoj(おもちゃのマーチ) おもちゃのマーチ 1923年東京日日新聞(現毎日新聞)発表の童謡 作詞 海野厚(うんの あつし、1896-1925) 作曲 小田島樹人(おだしま じゅじん、1885-1959) 1) やっとこやっとこ くりだした おもちゃのマーチが ラッタッタ 人形の兵隊 せいぞろい お馬もわんわも ラッタッタ 2) やっとこやっとこ ひとまわり キューピもぽっぽも ラッタッタ フランス人形も 飛びだして 笛ふきゃ太鼓が パンパラパン ------------ Marsxo de Pupoj poez. Unno Acusxi (1896-1925) muz. Odasxima Jxujxin (1885-1959) trad. Simatani Takesi 1) Marsxas ludiloj kaj pupoj el kestet’ Marsxas pupoj en parado la, la, la! Pupaj soldatoj nun iras kun musket’ Hundoj kaj cxevaloj marsxas la, la, la! 2) Marsxas ludiloj, rondiras laux kastel’ Marsxas birdo kaj kupido la, la, la! Pupa knabino ekdancas laux rondel’ Fluto kaj tamburo viglas la, la, la! ----------- 公開用リンクtenejo: https://1drv.ms/u/s!AkMetcVr7wWjgbQGXcAp25lAWjaX8Q?e=zSoTlZ --------------------------------------------- 14.Mikspoto ベルモント選集『源氏物語 Rakontaro de Gengxi』がKindle版で発売された。『源氏物語 4』(21少女〜26常夏)、『源氏物語 5』(27篝火〜33藤裏葉)、『源氏物語 6』(34/35若菜上下)。2020年6月に紙版で発売された“Rakontaro de Gengxi Parto I”『源氏物語一』(1桐壷〜20朝顔)およびそのKindle版の続き。[←belmonto] ------------ 『週刊金曜日』8-13号で「弾圧の時代に良心を貫いた言語学者・斎藤秀一 〜民衆の解放を願ったエスペランティストの生涯が朗読劇に」というタイトルで、エスペランティスト斎藤秀一(ひでかつ)の生涯をテーマとした山形市の「平和劇場」での朗読劇が大きく取り上げられている。 7月31日付『朝日新聞』山形県版にも朗読劇の記事が掲載された。[←北川 郁子] ------------ 8月11日付『朝日新聞』朝刊社会面に「抵抗の足跡 戦後76年(1) 検挙5回曲げなかった『言葉』ローマ字教育 貧富の差うまぬよう」の題で斎藤秀一のことが大きく取り上げられた。エスペラントにも言及。「斎藤の人物像は英雄や超人ではない。国家主義の大波にのみ込まれた普通のまじめな学校教員だ」と。[←山野 裕、北川 郁子、Junpe OKAU] ------------ こまつあやこ著『ポーチとノート』(講談社)が10月28日に発売される。女子高校生がエスペラントに出会う物語。[←北川 郁子] ------------ 『ことのはアムリラート(Amrilato) 』の続編『いつかのメモラージョ』英語版が発売された。2017年発売の、異世界に迷い込んだ少女がエスペラントを学ぶ電子ゲームのシリーズ。『アムリラート』は2019年に英語版が出たが、2019年発売の『メモラージョ』も2021年に英語版が出た。インターネット掲示板“Libera Folio”にJ-MENTインタビュー。[←北川 郁子] ------------ イヤホンズの手話を使ったミュージックビデオ「はじめまして」は、日本語を含めた12言語のあいさつを歌と画面で紹介している。 40秒にエスペラントの“Tre agrable”も。URL: http://earphones-official.com/news/post/281/[←後藤 斉] --------------------------------------------- 15.KLEG事務局だより 第69回関西大会のKLEG書店の全体の売上げは、前月号で報告しましたが、今月は、よく売れた書籍をご紹介します。 『エロシェンコのシベリアものがたり』 6冊。 後は次の書籍が2冊ずつ売れました。 『エスペラント実用作文教室』、『世界の旅人堀さんのエスペラント気ままエッセー10』、『日エス現代用語集』、『ぼくとままの20ねん』。 ------------ KLEG後援会へのご寄付(2021年7,8月、敬称略) 匿名10,000円 匿名10,000円 (図書寄贈基金へ) 匿名8,835円 中道民広5,000円 梁池忠夫 1,200円 柴山純一600円 平岡五城 600円 川西徹郎 600円 ご支援、ありがとうございます。 --------------------------------------------- 16.編集ノート 9月号p.4 “Kajero Libervola”のmjanmarajn oficistojnは誤り。mjanmarajn oficirojnです。お詫びして訂正します。 ------------ 「語尾なし単語」と「日本昔話」は誌面の都合で休みます。(相川 節子) --------------------------------------------- 17.図書広告 新刊・新着 El la vivo de Syunkin 800円 谷崎潤一郎「春琴抄」(宮本正男訳。初版ピラート社、1968年)。琴三弦の師匠春琴に弟子の佐助は献身的に仕える。耽美的な世界を独自の文体で描き、映像化も多い。日本エスペラント図書刊行会発行。A5判、90p. ------------ エロシェンコのシベリアものがたり 800円 高杉一郎が翻訳したエロシェンコのシベリア体験にもとづく4作品。うち「チェスの三手詰め問題」は訳者没後に原稿が発見され、初出となる。日本エスペラント図書刊行会発行。B6判、112p. ------------ Esperanto por mi 3500円 歌手jOmO、百寿の中村文雄らエスペランチスト16人を画家ヘルガが鉛筆画で紹介。A4判、16p. ------------ Raportoj el Japanio 24 1800円 堀泰雄の「報告」最新刊。世界のコロナ問題、東京オリンピック、唐丹の子ども支援の10年、沖縄戦、足尾銅山など多彩な内容。A5判、256p. ------------ エスペラント、ザメンホフ、そして Esenco kaj estonteco de la ideo de lingvo internacia 600円 エスペラントの原点を示すザメンホフによる論文。 ------------ 希望する人 300円 土居智江子著。子どものためのザメンホフ伝。 ------------ エスペラントとグローバル化 900円 タニヒロユキ論考集。「民際語」とはなにか。 ------------ エスペラント運動を考える−La Movado誌から 1000円 本誌掲載の論説56編を収録(峰芳隆編)。運動の現在と将来を考えるための好個の一冊。 ------------ 日本エスペラント図書刊行会の本 Lingvo Stilo Formo 1000円 Kalocsayによるエスペラント論集の増補復刻版(原版は1970年ピラート社刊)。“Esperanta vortfarado” “La evoluo de nia poezia lingvo”など。 ------------ NARA, la ekscxefurbo en malproksimaj tagoj 1800円 奈良エスペラント会による古都奈良の案内書。原始から現代まで奈良の歴史を点描。 ------------ Kiel verki hajkon en Esperanto 500円 広高正昭著「エスペラント俳句の作り方」第2刷。hajkoの作り方、秀句鑑賞、自選100句と季語の索引。 ------------ エスペラント文法の散歩道[改訂新版]1000円 小西岳の文法論。「kajとsed」「laの用法」他。 ------------ ご注文は郵便、ファクス、電子メールで。送料は実費。現品と一緒に請求書を送ります。支払いは振替口座で。